ローター・ファーバーは、工業近代化によって生じた社会問題に危機感を持っていました。それゆえ、現在では当たり前となっているような企業による健康保険制度を会社を引き継いだ初期の段階から構想し、実現に導きました。これはバイエルン州で最古の社会福祉制度と言われています。
その5年後、従業員のために"消費者クラブ"と呼ばれる制度もスタートさせました。これは、生活必需品である食品を求めやすい価格で購入できるというシステムです。さらに従業員のための社宅も建て、彼らは比較的に高水準の生活をできるようになりました。
ドイツで初めての幼稚園のひとつ
ローター・ファーバーにとって教育も重点を置くべき一つの要素でした。子どもたちが健全に育つよう、シュタインの町で幼稚園を1851年3月に開校しました。当時は「幼児ケア施設」という名でしたが、その他にも彼は学校や教育施設に寄付をしたり社員向けの図書館を開くなどの実績を作っていきました。