ジョージ・レオナルドが事業を引き継いだ当時、政治的にも、世の中の経済としても厳しい時代でしたが鉛筆生産はなんとか続けていきました。伝統的な製法で鉛筆が作られていましたが、同時期、フランスでは鉛筆芯の新しい生産方法が編み出されていました。イギリス・カンバーランド(現カンブリア)製のグラファイトを芯に用いた珍しい「英国製の鉛筆」との競争も激しくなってきました。
そんな中、彼は社の未来を見据え、息子のローターとヨハンを海外へ送り新しいものを見て学んできてもらうことを思いつきました。行き先は、当時先進的とされていたロンドンとパリです。長男のローターは帰国後、シュタインに工場を建設し、今日世界で広く知られるブランドの基盤をつくり上げたのです。