父親ジョージの死後、当時22歳のローターは1839年に生産工場を近代化させ、シベリアの黒鉛鉱山から採れるグラファイトを用いるなど最高品質の素材を用意し鉛筆生産における画期的な取り組みを行っていきました。その根底にあったのは、「世界で一番の品質の鉛筆を作り、世界で一番のブランドになる」という熱い思いでした。
彼は鉛筆一本一本に、"A.W. Faber"と刻印していきました。他社の作る鉛筆と区別し、筆記具にブランドという概念を持ち込んだのもこれが初めてと言われています。