ローターの一人息子であるウィルヘルム・ファーバーが跡取りとなることが決定していました。彼は地元・ニュルンベルクとスイスで経営学を学び、1873年、同社に入社しました。3年後、社を率いることになります。
ウィルヘルム・ファーバーは、経営者というよりも芸術家肌と言えるタイプでした。不運なことに、彼の息子のローターとアルフレッドはともに3-4歳の時点で無くなってしまいました。さらに悪い事に、彼自身も42歳という若さで亡くなってしまいます。後に残されたのはまだ幼い3人の娘でした。
1896年のローターの死後、未亡人となったオッテリーは頼もしい従業員と共に1900年頃までなんとか会社を経営してきました。