ローター・ファーバーの爵位授与
数々の社会的、そして経済的な地域貢献を通じ、ローター・ファーバーは多数の賞や勲章を受賞していました。1862年には、バイエルン王のマクシミリアン2世が彼の功績を称え爵位を与えました。その3年後、ババリア王室議員として任命されました。1867年、フランスのナポレオン三世は、ローターが自社社員に対して実施した社会福祉を視察させるため、ドイツ・シュタインに担当者を派遣しました。使節団は非常に感銘を受けたとのことで、ローターの実績はそれほどまでに規範となるようなものだったのです。
そしてローターは、レジオンドヌール勲章を授与されます。1881年、ファーバーファミリーは世襲貴族となりました。
所有権の保護
商品にブランド名を入れるというのはその時代、一般的ではありませんでしたが、ローター・ファーバーはそれが自社商品の品質を保証するものであるとしてこれを進めていきました。当時、A.W.Faberと刻印をして低品質の商品を売るメーカーもあり、ローターはそうした会社に対し法的手段を取りました。ブランドの所有権を守るための嘆願書を議会に提出し、それが受理され法的に施行されたのが1875年のことでした。
商品を美しく見せる
ローター・ファーバーは商品の本質を伝えいかに魅力的に見せるかという点についても工夫をしていました。店舗やウィンドウのディスプレイを細部に渡り整え、手間と費用を惜しみませんでした。左の写真は商品陳列のためのチェストで、いくつもの引き出しがついており細かな装飾が施されています。端についた装飾は、鉛筆削りの役割も果たすパーツです。
ベルリンの”ファーバーハウス”
1871年にドイツ帝国が成立し、ベルリンが首都となりました。A.W.ファーバー社はそこでも存在感を発揮し、1884年の「帝国の日」にはベルリン市内のフレデリック通りに社屋を構えました。1階部分はショップとなっており、上層階は倉庫やオフィスフロアとして使われていました。この”ファーバーハウス”は地域で有名になりましたが、戦火により破壊されてしまいます。
”新しい城""
ローター・ファーバーが建てた邸宅の横に、オッテリーとアレグザンダーはニュルンベルクの著名建築家、セオドア・フォン・クレーマーを任命し新しい家を建てました。外観を城のようにし、その名も”新しい城”としました。内装は逆に、その時代に合ったモダンなものになり、ドイツのアールヌーボーと言われるユーゲント・シュティール形式の建築とされています。
それぞれの部屋は、ブルーノ・パウルによるデザインです。バスルームは当時可能であった技術や素材を総動員した非常にラグジュアリーなものでした。
ファーバーカステル150周年
1911年には、ファーバーカステル設立150周年を迎えました。豊かな光と新鮮な空気で満ちた働きやすい環境を整え、1904年当時に比べ従業員数は2倍に伸びていました。従業員数は約2,200名、世界各国に100,000社の取引先を抱えるまでに成長したのです。
海外取引の停止
第一次世界大戦はドイツ経済に大きな打撃を与えました。ファーバーカステルも例外ではなく、この時代、海外との取引は停止に追い込まれました。ファーバーカステルのアメリカ支社も停戦後に売却され、その後再びアメリカに拠点を構えるまで時間がかかりました。それ以前A.W.Faberという名でしたが、その後A.W.Faber-Castellに名を変え、1994年にようやく北米・カナダでブランド名の商標を獲得したのです。
パッケージのデザイン
ローター伯爵はかつて、子ども向けの商品を魅力的なパッケージで提供することにいつも苦心していました。ローランド伯爵は、社の伝統を受け継ぎながらも様々なモチーフを活用したパッケージを開発していきました。例えば民族衣装を来た人物や、動物、妖精たち、イースター・バニーやサンタクロースといったモチーフです。こうしたカラフルなパッケージは子どもたちとその親の心をつかんでいきました。
ボールペンの発売
戦後、ボールペンは瞬く間に人気を博し万年筆と並び一般に広まっていきました。ファーバーカステル社はボールペンを生産・発売した初めてのドイツ企業として、現代的なイメージの広告を次々と発表していきました。
新しいブランドロゴ
第二次世界大戦後、「戦う騎士」のロゴは時代遅れではないかという意見が社内から出てきたため、ロゴを変更する決断に至りました。社名を大きく表示し、その上にファーバーカステル城を表現。時代に合ったデザインのロゴとなり、ブランドの新しい幕開けとなりました。ですが、1993年に再び「戦う騎士」のロゴに戻ることになりました。
カラフルなパッケージ
戦後の世の中は暗くどんよりとしていましたが、幸い、国民は生きる喜びを見出しました。外国への旅行や、海外風のビジュアルが多く好まれたのです。とりわけイタリアはドイツ国民の旅行先として人気を博し、フォルクスワーゲンのビートルに家族で乗り込みイタリアの温暖なビーチへ休暇に出かけるという様子が休日にはよく見られました。
ファーバーカステル200周年
1961年、ファーバーカステル社は3,000名の現・旧従業員や海外からもゲストを多々招待し200周年記念のお祝いを行いました。ドイツ・ライヒェナウ島の市民防衛隊も参加しコンスタンツにある工場との良いパートナーシップを表すパフォーマンスを行いました。
ファーバーカステル本社のある町シュタインの人々も参加しました。学校は休校となり、行進などを見て楽しみ、共に祝いました。